chikaponpapa

Hamamatsu-city, Shizuoka Pref, Japan

家族というのは基本的に「会食する集団」でしょう。デートというのも基本的に「いっしょにごはんを食べに行くこと」ですよね。どうしていっしょにごはんを食べるのかって言えば、ごはんを食べているときに、美味しいかどうかで、その人といて楽しいか楽しくないかが分かるからですよ。家族でごはんを食べるのは仲がいいから食べるんじゃない。その逆です。「いつごはんがまずくなるか」をチェックするために、いっしょにごはんを食べる。ぼくはそう思っているんです。

ごはんを食べていてまずくなったら、それは家族の危険信号なんです。だいたいテレビドラマでも、家族の間に亀裂が入ると言うときは、ちゃぶ台をひっくりかえすか、作ってくれたものを残して「もう、いらない」と席を立つ場面ですからね。

セックスするまでもなく、男と女はいっしょにごはんを食べるだけで、いっしょに居られる人かどうかはわかるんです。うまくゆかない相手とだと、ごはんの味がしないから。「味がしない」というのは、「この人といっしょにいても、あなたの心身のパフォーマンスは上がらないです」って身体がシグナルを送ってきているわけですから。いくら頭が「いっしょにいるほうがいい」というメッセージを送っても、消化器の方が「いやだ」って言っている。だから、食事の時にたわないことをしゃべっていても、やたら食が進んで、「おかわり」と言える時は、身体が「この人とは相性がいいよ」って教えてくれているんです。(P.57)

クマンバチとは、ずんぐりした大きなハチの俗称ですが、一般的に「クマンバチ」と呼ばれているハチは物理学的に考えると、あの羽、体重、筋肉で飛ぶことは理論上不可能であると考えられています。
大型計算機を使った計算でも、「クマンバチは理論上飛べない」という結論に至りました。
しかし、何故クマンバチが飛んでいられるのかというと、ある航空力学を研究している大学教授が発表したコラムによると、「クマンバチは自分が飛べると信じているから飛べるんだ!」と書かれていたそうです。

以前嫁さんと達した結論なんだが、他人に絶対腹を立てない優しい人ってのは、もともと他人に対してほとんど何も期待してないから、期待が外れて「何でこんな事もできないの!?」っていう腹も立たないのであって、そういう意味じゃ優しい人が一番冷たくて怖いよね。

過疎に苦しむ秋田県に帰ってきた。テレビをつけたらナマハゲが包丁かかげて「泣く子はいねぇが!…子供が…いねぇな。…秋田では少子化が止まりません」みたいなCMがやってて俺が泣きそうになってる。

私は以前、定職のなかったころの最後の六年間ほど、ヴァイオリンの恩師の晩年のお世話をしたことがある。その方は、パーキンソン氏病で施設に入っていた。一応の面倒は施設の人がやってくれるが、こまごまとした買い物とか話し相手には困るので、毎週言われたものを持って通ったものである。

そのすぐ前に、母の看病をしていたので、病人の扱いには慣れていたが、老人の病人はほぼ初めての経験だった。

老人には、昔食べたおいしいものの記憶が鮮明に残っているようで、しばしば申し付かった。戦前のモダン・ボーイらしく、洋菓子の注文が多かった。それも、高円寺のトリアノンのシュークリームが食べたい、というように店の指定つきである。

いまどきシュークリームなどどこにでもある。幸い緑内障で眼も見えないから、適当にごまかしておけばいいようなものであるが、万一見破られた場合、多いに具合が悪いので、結局指定された所までそのつど出向いたものだ。よほど暇だったからできたのだと思う。

ところが、せっかくそうやってお持ちした菓子も、食べてみると思い描いたような味はしない。店の味が変わったというより、先生の身体が、もう受け付けないのである。一口だけ口にして「もういいです」と言われる。こうやって、一つ一つこの世の歓びと決別する場に、私は立ち会うことになった。

人は自分の悪い処を人の批判に使うんだなぁ。支那は自分が虐殺するから「虐殺した!」と。朝鮮は自分がレイプするから「レイプした!」と。民主党は自分が権力に居座り利権を貪りたいから「権力に居座り利権を貪っている!」と。

—(via shinjihi)

(shinjihiから)